更新5/31/2003
今週のポラ38<朝のサボテン、夕のサボテン

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ヨコイと言う、30年来の付き合いの
写真材料卸店がなくなる
時代の変化というヤツだろうか?
確かに
デジタルカメラを導入して
ヨコイから買うフィルムの量は激減
周辺機器や消耗品はPCショップから買うことになった
そのデジタルカメラを売ったのはヨコイだが・・・
こういう変化を
時代の流れとか、構造の変化と呼ぶのだろう
遠からず、現像所にも変化が来るのは必至?

さて、2台目のデジカメ
そのヨコイの仲の良いセールス君
先日の予約取り消しを「実は」していないと言う
つまり、そのうち僕宛のEOS-D60が入荷するらしい
その時点で、購入は判断すればいいらしい
予約の待ちはまだ、長い列をなしているので、
僕が購入を見送っても、すぐに
何処かへ売れていく

今日は久しぶりに、モノクロプリントをやった。
すべての薬品は半年使ってなかったせいで古くなり、廃棄。
印画紙もフレッシュなのを取り寄せ、それで焼いた
・・・のだが
調色すると、古い印画紙を使った時のように
白色ベース面まで色が乗ってしまった
材料店の在庫まで、古かったのかしら?
それとも、ケミカルが
デジタルにご執心の僕に反乱したか?
確かに、ちょっとやっていないと
紙焼きの「感」は鈍るね
拡大像をルーペでのぞくと、フィルムの粒子が見える
個人的な感想だが
粒子がない分、デジタル画像のほうがスムーズな印象
35ミリの、特にカラーのフィルムは、もう「不要」という気がしている
モノクロには独特の何かがあるが
それにしてもスムーズで綺麗なプリントという点では
6×6というサイズ以上を必要とするのではないか?
デジタルデータを仕上げる時に
多くの場合、僕は「ガウス」というぼかしをすこし加える
モノクロプリントを焼く場合
ほとんど例外なく、何分の一か焼き付け時間は
『紗』と呼ぶ、ストッキング越しに焼き付ける
考えてみれば、ほとんど同じ効果をねらっているのだと
暗室作業のなかで気がついた
構造の変化と言っても、同じようなことをやっているわけだ。
コダックというフィルムメーカーが使い始めた言葉だけれど
デジタルカメラで撮った生の画像データ(独特の画像形式)を
通常のデータ形式に画調を整えながら変換することを
「現像」と呼ぶ

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